1950年まで遡るF1グランプリの観客動員数記録は、ヨーロッパを代表するサーキットではありません。また、今年3レースが開催されるF1の新たな中心地であるアメリカでもない。実は、オーストラリアなのだ。1995年にアデレードで開催された4日間で52万人の観客を動員した。
近年で言うと昨年、オースティンで開催されたアメリカGPが44万人の観客を集めたのに対し、2023年のオーストラリアGPは、4日間の開催でそれを1万人上回る観客を集めると予想されており、その記録を更新する。サポートレースもサーキットに持ち込まれた。
しかし、F1とF1のアイドルをこよなく愛するこの国で、新たなホームタウンヒーローがF1に参戦し、また別のヒーローが道を踏み外すことになった。
ダニエル・リカルドの功績が大きかった。昨年マクラーレンに解雇されるまでの11年半、F1レースに参戦してきたこの33歳は、本人も含め、誰もが想像していたよりも早くキャリアを転落させたにもかかわらず、非の打ちどころのない行動をとってきた。
結局、元所属先のレッドブルで “サードドライバー “として働くしかなかった。リカルドのマーケティングオーラを考えれば、レッドブルにとっては当然のことで、驚くことに、金曜日には多くのホスピタリティイベントでリカルドが話し、交流しているのが目撃されている。しかしセルジオ・ペレスやマックス・フェルスタッペンに代わってレースシートを獲得するのは、実現不可能だ。2024年にシートを獲得したいという思いはあるものの、リカルドの未来は明らかに不透明なままだ。
昨年夏、アルピーヌの控えからマクラーレンのレースシートに移ったオスカー・ピアトリはメルボルン出身で、オージーのシンボルはマクラーレンのリカルドの後継者になった彼のものになった。
ピアストリは、The Independentに独占提供したインタビューの中で、生まれ育った場所からわずか15分の場所でレースに臨む心境を語っている。「このような特権を持つ人は、世界でもごくわずかです」と21歳は語った。 お名前.com
「アルバート・パークでレースができることをいつも夢見ていたが、それが現実になるとは思ってもみなかった。僕にとっては、とても特別なことなんだ。今、F1ドライバーという肩書きを名乗れることはとてもエキサイティングなことで、当然、この仕事を長く続けたいと思っている」。木曜の記者会見では2015年のメルボルンでは、グリッドキッズとして、ダニール・クビアトのスターティンググリッドについていたことを明らかにした。
ピアストリのコックピットでの速さは、疑う余地がない。マクラーレンの問題とは裏腹に、2週間前のジッダではノリスと競り合いながらレース終盤にスピードアップしたように見えた。2020年にF3、その1年後にF2を制した彼のレース勘が明らかになるのに、そう時間はかからないだろう。
しかし、その魅力はどうだろう。ピアストリの性格は、リカルドとは対照的で、穏やかで温厚だ。特に『Drive to Survive』以降、リカルドは国内外から慕われるようになった。忘れてはならないのは、リカルドは8度のレースウィナーでもあるということだ。
ピアトリはマクラーレンで時間を与えられるだろうし、昨年、彼の育成に何百万ドルも費やしたアルピーヌから離れた彼の冷酷さは、トラック外の悪評とは対照的に、純粋に成功だけを追い求める男であることを示している。
とはいえ、今週末はピアストリにとって、国民的な注目を集める最初の機会である。F1ドライバーとしての初ポイントを獲得するには、母国でのレースが一番だ。レッドブルの圧勝が予想される今週末、ピアストリのトップ10フィニッシュは魅力的な話題になるはずだ。 ラブライブ!コラボキャンペーン
(引用:The Independent)
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