3分で読める!今更聞けない、セナプロ対決ってどんなんだったの?Part3【1989年チームメイト2年目】

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アイルトン・セナとアラン・プロストがマクラーレン・ホンダでチームメイトになって2年目となる1989年、イモラで事件が起きる。ポールを獲得したセナがチームの命令を逆らった。「スタートで先行した方が、トサ・コーナーを過ぎるまで抜かない」という紳士協定を結んでおり、プロストは約束を守りセナを抜かなかった。しかしレースが中断されて再スタートになった時、今度はプロストが先行をしていたにも関わらず、セナは約束を破って抜いてしまい、そのまま優勝する。

↓イモラの動画

レース後、口論になったが、セナは「再スタートは関係ない」と言い放った。解釈の違いのせいにしてプロストを負かしたのである。怒ったプロストは記者会見を拒否して帰ってしまうも、記者会見に出ないのは規則違反なので罰金を受けるはめに・・・二重のトホホである。これはマズいとチーム代表のロン・デニスも交えて3人で話し合い。「口外しない」という約束だったにもかかわらず、プロストは怒りプンプンを抑えきれずフランスの記者にリークしてしまうのだ。

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「もー我慢できない!」とプロストは今期限りでチームを離脱することを決めてしまう。

イタリアグランプリの前に翌年からフェラーリ入りすることをフライング発表してしまい、しかもそのレースでも優勝を飾ったもんだから、フェラーリファンが大喜び。ティフォシはすでにプロストをフェラーリの一員として認めていたのだ。その勝利はホンダの記念すべき50勝目だった。チームの所有物である優勝トロフィーを、プロストが地元のフェラーリファンにあげてしまうのです。マクラーレン・ホンダは怒るわけだ。

↓このトロフィーは数時間後にファンの手元へと渡る。

この頃からプロストは「ホンダがセナを贔屓して、特別なエンジンを与えている」とメディアを通して批判をしている。

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